2014年12月12日金曜日

「レンブラント―晩年の作品」展


世界中で毎年多くの展覧会が開かれているが、時に、人生に一度しか見られない展覧会がある。現在、ナショナル・ギャラリーで開催中の「レンブラント―晩年の作品」展は間違いなくその中のひとつである。

画家の晩年に焦点を当てた展覧会には、自分の人生の終わりを意識して不安になる一人の人物像が浮き上がってしまう。レンブラントは金銭的な問題を抱え、正式に婚姻を結んでいない内縁関係の女性について教会から追及されてしまう。1656年には自己破産をし、豪邸と収集していた美術品や骨董品、そしてアトリエを手放さなければならなくなった。このような時期において制作意欲が削がれるだろうと想像することは難くない。しかし、展示された作品群からはそのような印象は全く受けない。意欲的に制作に取り組み、魂に訴えかけるような新しい芸術を模索する画家の姿が見えてくる。


展覧会はレンブラントが生涯にわたって取り組んだ自画像から幕を開ける。全80点の自画像から晩年に制作された7点が展示されている。《二つの孤のある自画像》(c. 1665-1669、fig.1)は自己破産して10年経ってから描いたものであるが、そこに描かれた絵筆とパレットを持って胸を張る姿からは、画家としての矜持が見てとれる。一方、亡くなる年に描かれた《63歳の自画像》は手を組み合わせてこちらに視線を向けている。この作品をX線撮影したところ、初めの構想では絵筆を持っていたことが分かった。温かな光に包まれたこの作品には、画家としての誇りも脱ぎ捨てた、より深いレンブラントの内面が表れている。

この展覧会は、2015年2月12日から5月17日までオランダ・アムステルダム
国立美術館(写真)に巡回。
この展覧会には有名作品だけでなく、素晴らしい作品にもかかわらずこれまであまり知られてこなかった作品も展示されている。《バタビア人の陰謀》(c. 1661-1662、fig.2)はレンブラントが描いた中で最大の作品(5x5m)である。この作品には「光と影の画家」と称されるレンブラントの力が遺憾なく発揮されている。人々の背に隠れているろうそくの金色の光が白いテーブルクロスに反射し、反徒たちの顔を下から照らしている。ほとんど褐色の絵の具だけで描き出したことも驚異的である。

この作品はバタビア人がローマ帝国に対して起こした反乱をたたえて描かれた作品群の一枚で、オランダ人たちはこのバタビア人たちが起こした反乱を、スペインからの独立をはかって1648年に終結する80年戦争を戦った自らの姿を重ね合わせている。しかしながら、レンブラントのこの作品は市庁舎に数ヵ月飾られただけで降ろされた。その理由は伝統的に隠されていた主人公のガイウス・ユリウス・キウィスの隻眼を描いたためとも言われているが、はっきりとはしていない。しかし、作品は返却され、支払いもなされなかった。その後、レンブラントはこの巨大な作品を売却するために約4分の1の大きさに切り取ったため、現在のサイズ(196×309㎝)になった。

本展覧会には自画像、歴史画、肖像画の他に内縁の妻ヘンドリッキェをモデルに何気ない日常生活の中に聖書の一節を紛れ込ませた作品など油彩画40点、素描20点、版画30点が出品されている。「レンブラント―晩年の作品」展は2015年の春には、レンブラントが生まれたオランダのアムステルダムにある国立美術館に巡回する。

「レンブラント―晩年の作品」展
2015年1月18日までロンドン・ナショナル・ギャラリーにて開催。
2015年2月15日から5月17日まで、アムステルダム国立美術館にて巡回。
ロンドン・ナショナル・ギャラリー The National Gallery, London
Trafalgar Square,
London WC2N 5DN
The United Kingdom
+44 (0)20 7747 2885
www.nationalgallery.org.uk
開館時間:
月—木、土、日 10:00—18:00
金  10:00—21:00
休館日 1月1日、12月24-26日

2014年11月20日木曜日

マーク・ロスコ

fig.1 Mark Rothko, Untitled (man and two women in 
a pastoral setting), 1940. National Gallery Washington
20世紀のアメリカ人画家マーク・ロスコの展覧会がデン・ハーグ市立美術館で開かれている。1950年代のクラシック・スタイルの作品だけでなく、いままでほとんど展示されていない初期作品にも一室が与えられている。そこには濁った色彩で描かれた肖像、静物画、街の風景などといった、一般的に知られた作品とは全く違うロスコ作品が並んでいる(fig.1)。

彼が抽象絵画を描くようになったのは1940年代のことである。第一次大戦中、ヨーロッパの芸術家たちがアメリカに亡命し、多様なヨーロッパ芸術が同時にアメリカにもたらされた。そのなかでロスコはシュルレアリスムやアヴァンギャルドに興味を寄せ、象徴的なアプローチを試みるようになった。シュルレアリスムへの興味は哲学―とくにニーチェ―への関心も掻き立てた。1940年頃には、絵画よりも言葉で自らの芸術を人々に伝えようと考え、描くことをやめてしまうこともあった。

fig.2 Mark Rothko (1903-1970), Untitled / Zonder titel,
1953, gemengde techniek op doek, 195 x 172,1 cm,
National Gallery of Art, Washington – schenking The
Mark Rothko Foundation, Inc. © 1998 Kate Rothko
Prizel & Christopher Rothko /Artists Rights Society
(ARS), New York c/o Pictoright Amsterdam 2014
しかし数か月後、ロスコは美術の世界に戻ってきた。絵画による自らの芸術表現を再び求めたとき、その作風は一変し、一見しただけでロスコの絵画だと分かる特徴的な画面が現れた(fig.2)。物体は姿を消し、色彩によって幸福や悲哀、恐怖、恍惚といった人間の普遍的な感情を表現することを追求した。

ロスコは色を塗り重ねることで奥行のある色彩を作り出した。黒い絵の具の合間から黄色やオレンジなど別の色彩が透けて見える。複数の色彩が塗り重ねることで互いに影響し合い、はじめは黒一色にみえた色面も次第に下に塗られた色彩の影響を受けてさまざまに色を変えていく。不安定で移ろいやすい色彩は鑑賞者の感情をダイレクトに揺さぶってくる。ロスコの画面を表現するときに使われる茫漠たる光といった言葉は、この不安定な色彩によって生み出されるものをさす。

ロスコは自分が制作しているときに感じているように、鑑賞者が絵画と一体化することを望んだ。彼が描いた巨大なカンヴァスの前に立つ者は、カンヴァスから滲み出した色彩―深みのあるバラ色、暖かい黄色、陰鬱な黒、―によって徐々に身体が染められ、次第に自分が絵画とひとつとなっていく感覚を味わうだろう。


「マーク・ロスコ」展は、2015年3月15日まで開催(月曜日休館)。


デン・ハーグ市立美術館 Gemeentemuseum Den Haag
Stadhouderslaan 41
2517 HV Den Haag
The Netherlands
http://www.gemeentemuseum.nl/en
開館時間:
火曜日-日曜日 11:00-17:00
休館日 毎週月曜日、5月5日、12月25日

2014年10月31日金曜日

《印象、日の出》~クロード・モネの傑作にまつわる真実の物語

Fig.1, Claude Monet, Impression, Soleil Levant, 1872,
oil on canvas, 50 × 65 cm, Paris,
Musée Marmottan Monet, Gift of Victorine
and Eugène Donop de Monchy,
1940 © Christian Baraja
「印象派」の名前が第一回印象派展に出品されたクロード・モネの《印象、日の出》(fig. 1)に由来することはよく知られた話である。この印象派の記念碑的な作品は有名であるがためにこれまで深い研究の対象とならず、いま現在でも多くの謎が残されている。描かれているのは「日の出」か「日没」か。描かれたのはいつなのか。サインには72年とあるが、実際は73年なのではないか等々。制作の過程、1874年の第一回印象派展の様子、また本作品がさまざまなコレクターの手を経て1940年にマルモッタン美術館に収蔵されるに至った経緯など、《印象、日の出》をめぐる多くの謎を解き明かそうとする意欲的な展覧会「《印象、日の出》~クロード・モネにまつわる真実」が、マルモッタン美術館で開催されている。


Fig. 2, Raoul Lefaix, L’Hôtel de l’Amirauté,
1928, Photograph on paper blued in the
album "Le Havre en 1928", 20 x 14.5 cm,
Le Havre, Bibliothèque Municipale
© Bibliothèque municipale du Havre
「ル・アーヴルの窓から描いた作品だった。それは霧の中に太陽があり、その前にはいくつかのマストが立っている。彼らはカタログに載せるために題名を知りたがったが、『ル・アーヴルの眺め』という題をつけることはできなかった。そこで『印象』を使えと言った」

モネが正確に「いつ」「どこで」《印象、日の出》を描いたのかという謎に迫ったのは、テキサス州立大学の天体物理学者ドナルド・オルソン教授である。まず彼はこの作品がフランスの北西部の大西洋に面する港町ル・アーヴルに建つホテルの窓から描かれたとの資料が残っていることから、当時のル・アーヴルの地図と400点以上もの写真とポストカードを参考にしてホテルを特定した。そのホテルとは「グラン・ホテル・ドゥ・ラミラウテ・エ・ドゥ・パリ(Grand Hôtel de l’Amirauté et de Paris)」(fig. 2)である。作品ではクレーンやマストを下に見て描かれていることから、部屋は4階か5階であったと推定した。

部屋の窓から望む方角が東であるので描かれた太陽は日の出だということ、そしてこの位置を太陽が通過するのは11月中旬と1月下旬だということが判明した。そのほか大型船が描かれていることから潮の満ち引きについて調べ、天候や風向きなどから1872年11月13日午前7時35分と1873年1月25日午前8時5分の2日に絞られた。そしてオルソン教授をはじめ本展覧会の学芸員らはモネのサインの横に「72」と書いてあるので、モネが描いたのは1872年11月13日午前7時35分がもっともふさわしいと結論づけている。

会場には《印象、日の出》を含むモネの作品26点とモネに絵画の手ほどきをしたブーダンや、ともに印象派展に出品したルノワールやピサロなどの作品35点、そして歴史的資料61点が展示されている。第一回印象派展から140周年を迎える今年、印象派の歴史に新たな一石を投じる展覧会である。

「《印象、日の出》~クロード・モネにまつわる真実」展は、2015年1月18日まで開催。


マルモッタン美術館 Musée Marmottan Monet
2 rue Louis Boilly
75016 Paris
France
http://www.marmottan.fr/uk/
開館時間:
火曜日-日曜日 10:00-18:00(火曜日は‐21:00)
休館日 月曜日、1月1日, 5月1日、12月25日

2014年9月22日月曜日

「晩年のターナー」展

fig.1, J.M.W. Turner, Rain, 
Steam, and Speed – The Great Western Railway,
1844, ©The National Gallery, London


西洋美術史に燦然と輝く風景画の傑作≪雨、蒸気、スピード グレート・ウェスタン鉄道≫(fig.1)は、今日でもなお英国最高の画家と称えられるターナーの作品である。雨のなか、近代化の象徴である蒸気機関車が蒸気をあげて、テムズ川に架かるメイドンヘッド橋を渡っている。光と風の動きによって、疾走する機関車の様子が巧みに表現されている。機関車の前には必死に線路を横切る野ウサギ、左側のテムズ川には一艘の小船が浮かんでいて、どちらも蒸気機関車の近代性とスピードとは対象的である。近代絵画の幕開けを告げるこの作品を描いたのは、ターナーが何歳のときであっただろうか。瑞々しい感性を湛えた青年期だろうか、それとも円熟を迎えた壮年期だろうか。

ターナーがこの作品を描いたのは1844年、69歳になる年だった。弱冠26歳のときに英国美術界の権威であるロイヤル・アカデミーの正会員にもなった早熟の画家とも呼べるが、その後も研鑚を続け、生涯を終える76歳まで新たな表現を探求し続けたゆえに生まれた作品である。

fig.2, J.M.W. Turner, Ancient Rome;
Agrippina Landing with the Ashes of Germanicus,
exhibited 1839, oil paint on canvas, support: 914 x 1219 mm,
frame: 1230 x 1530 x 140 mm, Tate.
Accepted by the nation as part of the Turner Bequest 1856
ロンドンのテート・ブリテンでは、ターナーが60歳を迎える1835年から、その生涯を閉じる1851年までの画業に焦点を当てた「晩年のターナー」展が開催されている。世界最大のターナー・コレクションを誇るテート・ブリテンを中心に、世界中の美術館の協力により150点の作品が集められた。

彼は神話や歴史の舞台として描く歴史的風景画からロンドン近郊の親しみやすい風景まで、あらゆる種類の風景画を描いた。またその対象も英国内にとどまらず、ヴェネツィアやローマ古代遺跡の景観など、旅行で訪れたさまざまな場所を描いている(fig.2)。研究対象が幅広いターナーであるが、その画業において一貫しているのは光の表現の追究である。晩年の作品では、光あふれる空間の中にすべてを溶け込ませるように描いている。当時、先鋭的過ぎると批判されたこの光の表現方法は、後年、モネなどの印象派の画家たちに大きな影響を与え、今日でもターナー作品のなかで最も評価の高い時期とされている。


「晩年のターナー」展で見られるターナーには、老いによる制作意欲の衰えや悲観的なようすは微塵も感じられない。自然の劇的な変化や近代化による生活の変貌の様子を光のなかに描き出すべく旺盛に制作を続けた彼の姿が見える。

「晩年のターナー」展は、2015年1月25日まで開催(無休)。

テート・ブリテン Tate Britain
Millbank
London SW1P 4RG
United Kingdom
http://www.tate.org.uk/visit/tate-britain
開館時間:
10:00-18:00
休館日なし

2014年8月6日水曜日

マウリッツハイス美術館、リニューアル・オープン

図2 Fotograaf: © Ronald Tilleman, Credits: Mauritshuis, Den Haag

2年間の改修工事を経て、6月27日、マウリッツハイス美術館が開館した。この改修工事は、美術館と道を挟んで隣接する旧プライベートクラブの建物の一部が貸し出されたことにより実現した。(図1)これら二つの建物は新しく作った地下ロビーでつながっている。旧来の美術館には以前のようにレンブラントやフェルメールをはじめとするオランダ黄金時代の作品が常設展示され、新翼棟には企画展示室や子供用のレクチャールームや図書館などが新設され、教育施設の拡充がはかられた。

図1 マウリッツハイス美術館本館と新翼棟
旧来の建物の改修工事では、往年の姿を再現することに主眼が置かれた。ヤーコプ・ファン・カンペンの設計による17世紀のオランダ古典様式を代表する建物は塗装しなおされたことで、シンメトリーで直線的なデザインが以前よりも際立つようになった。内装は1704年に一度火災で焼失したのちに18世紀初頭に修復されているのだが、建築当時ではなく、18世紀の様式を取り入れた改装がなされた。漆喰の壁は塗りなおされ、壁紙は美しい模様が編み込まれたシルクの布に張り替えられている。

この長い閉館中に修復されたのは建物だけではない。空調設備や照明なども一新された。また、壁画装飾の一部として組み込まれている天井画なども取り外され、保存・修復処置がなされた。黄金の間を飾るイタリア人画家ペリグリーニの作品は、以前使用されていた石炭ストーブから出た煤によって灰色がかった色に変色してしまっていた。今回の修復によって濁ったグレーの膜が除去され、本来の柔らかな色彩を放つようになった。(図2)

図3 Johannes Vermeer, Girl with a Pearl Earring,
c. 1665, Mauritshuis, The Hague.
展示室では17世紀オランダの黄金時代を代表する画家たちの作品が、ほぼ改修工事前と同じ場所に展示されている。レンブラントの《テュルプ博士の解剖学講義》、フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》(図3)《デルフトの眺望》をなど、オランダ17世紀の黄金時代を代表する絵画が新しくなった美術館に戻ってきたのだが、まるで「ここが私の家だ」というようにしっくりと馴染んでいる。美術館館長エミリー・ゴーデンガーは「マウリッツハイス美術館の魅力は、所蔵する作品と調和した家のような規模の美術館であること」と語っている。2年の時を経て、小さく愛らしい真珠のような美術館がふたたび新しい輝きを放ちだした。

6月27日の美術館のオープニングの様子がYoutubeで公開されている。フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》が美術館の改装中に世界中を旅してきたことがユーモラスに表現され、そのあとで美術館の内部の様子が少し紹介されている。




マウリッツハイス美術館 Mauritshuis Museum
Plein 29
2511CS, Den Haag
The Netherlands
http://www.mauritshuis.nl/en/
来訪案内(日本語)
http://www.mauritshuis.nl/en/bezoekinformatie-japans/
開館時間:
火ー日:10:00-18:00
木:10:00-20:00
月:(2014年11月1日まで)10:00-18:00





2014年7月3日木曜日

雅宴画 ワトーからフラゴナールまで

ジャックマール=アンドレ美術館は、エドゥアール・アンドレと妻ネリー・ジャックマールが彼らの審美眼をもとに集め続けた美術品を、生活の中で愛でるために模様替えと増改築を繰り返して創り上げたパリ屈指の華麗な邸宅である。そこでは、彼らのコレクションを中心として、約60点を展示する「雅宴画 ワトーからフラゴナールまで」が開催されている。

図1 Antoine Watteau (1684 - 1721), Récréation galante,
ca 1717-1719, oil on canvas, 114,5 x 167,2 cm,
Berlin, Staatliche Museen zu Berlin, Gem_ldegalerie,
© BPK, Berlin, Dist. RMN-Grand Palais / Jörg P. Anders
18世紀初頭、フランスではそれまでの重厚な宗教画や歴史画などに代表されるバロック様式に代わり、軽妙洒脱で優雅な曲線で構成されるロココ美術が花開いた。そのなかで美しい自然や庭園で繰り広げられる男女の恋の戯れを描いて流行を博した画題が「雅宴画」である。その中心的な役割を担った画家はジャン=アントワーヌ・ワトーであった。フランドル地方に生まれた彼は、若い頃パリに出た。ワトーはパリで流行していた優雅な衣装を身に纏った男女を、豊かな緑あざやかな花が咲き誇るフランドルの伝統的な牧歌的な風景の中に描いた。詩的で空想的な雰囲気が、ロココ調の洗練された曲線と明るい色彩により醸し出されている。(図1)

ワトーには弟子がいなかったが、1710年代後半には多くの画家たちが彼の作品を模写し、彼の作風に影響を受けた作品を手がけるようになった。ニコラス・ランクレはワトー作品に最も影響を受けた画家である。ランクレは当時流行の衣装デザインや同時代の人々がすぐに認識できる場所など現実世界の要素を絵画世界に採り入れた。例えば、《パートナーと踊るマリー・カマルゴ嬢のいる雅宴画》の中央で踊る女性はパリのオペラ座のスター、マリー・カマルゴである。彼女は軽やかなステップを得意とし、18世紀バレエに様々な新しいステップを加えた。彼女は複雑なステップを踏みやすくするために、くるぶしを隠すくらいまであったスカートの丈をふくらはぎのあたりにまで短くした。絵の中で彼女が身に着けるスカートは短く、トゥシューズを履いているのがわかる。

図2 Jean-Honoré Fragonard (1732-1806), La Fête à Saint-Cloud,
ca. 1775-1780, oil on canvas, 211 x 331 cm, Paris,
collection Banque de France, © RMN-Grand Palais / Gérard Blot
18世紀の後半になっても雅宴画の人気は衰えず、さらなる繁栄を迎えた。芸術の後援者であるパトロンらが邸宅を装飾する絵画を求めるようになると、それらに寸法を合わせた大型作品が制作されるようになった。ジャン=オノレ・フラゴナールが卓越した筆で描いた《サン=クラウドの宴》(図2)は特筆すべき作品である。広大な庭園のなかに、演劇やダンスなど思い思いに余暇を楽しむ人たちが描かれている。そのなかでもっとも目を引くのは中心に描かれた噴水である。勢いよく高さ5m以上も噴き上げる噴水は、非日常的な宴の空間を創り出している。 ここにワトーから始まった雅宴画の頂点が築かれた。

ジャックマール・アンドレ美術館 Musée Jacquemart-André
158 Boulevard Haussmann
75008 Paris
France
+33 1 45 62 11 59
http://www.musee-jacquemart-andre.com
開館時間:
火ー金、日:10:00-18:00
月、土:10:00-20:30
無休

2014年6月4日水曜日

ヴェロネーゼ展


図2 X7484, Paolo Veronese (1528-1588), Portrait of a Lady,
known as the "Bella Nani"
, about 1560-5, Oil on canvas,
119 × 103 cm, Musée du Louvre, Paris (R.F. 2111),
© RMN (Musée du Louvre)/All rights reserved


16世紀のヴェネツィア・ルネサンスを代表する画家ヴェロネーゼの展覧会がロンドン・ナショナル・ギャラリーで開催されている。ヴェロネーゼのフレスコ画装飾、祭壇画、肖像画などの収蔵品10点と、欧米から貸与された約50点の作品が展示されている

石工の息子として1528年に生まれたパオロ・カリアーニは、後に誕生の地ヴェローナにちなんでヴェロネーゼで呼ばれるようになった。早くから優れた才能をあらわし、10代の後半にはヴェローナの貴族たちのために作品制作を行った。ヴェネツィア派の画家として知られているヴェロネーゼだが、生まれたのはヴェネツィアから西へ100キロほど離れたヴェローナであり、ヴェネツィアに移ったのは30歳を間近に控えた1555年ときであった。

《エマオの晩餐》(1555年頃、図1)で描かれているのは、ヴェネツィアのとある貴族一家がエマオの夕食に参加している場面である。画面中央に座るキリストは目を天に向け、左手に持つパンを祝福している。ヴェロネーゼは中央でなされている聖書中の出来事にことさら注目を集めることはしていない。右側にはキリストに無関心な一家がおり、手前には犬と戯れる可愛らしい子どもたちが描かれている。ヴェロネーゼは神聖なる神の世界を描いたというよりも、当時のヴェネツィアの日常生活の中にキリストを描いている。キリストと使徒らは古代風の衣装だが、彼ら以外の人々は同時代の衣装である。

図1 X7483, Paolo Veronese (1528-1588), The Supper at Emmaus,
about 1555, Oil on canvas 290 × 488 cm, Musée du Louvre, Paris (146),
© RMN (Musée du Louvre)/Gérard Blot
ヴェロネーゼが制作した肖像画の中でも傑作を称賛されるのが《女性の肖像(ラ・ヴェッラ・ナーニ)》(1560-1565年頃、図2)である。モデルとなった人物は分かっていないが、その衣装からヴェネツィアの上流階級の女性で、左手に指輪をしていることから花嫁だと考えられている。彼女は上質な青のドレスに身を包み、ルビーやサファイアを配した指輪やブレスレット、真珠のネックレス、肩には金の装飾をつけている。アクセサリーは素早く軽い筆致で描かれており、その自由で大胆な描き方はまさしく天才である。

ヴェロネーゼの作品は格別に色彩が美しい。17世紀の批評家は彼の華麗な色彩を、金に最高級の真珠、ルビー、サファイア、そして最上級のダイヤモンドを混ぜていると評している。とくに《レヴィの饗宴》(1573年)などの祝祭画は、ヴェネツィアの華麗さと豊饒さをもっとも饒舌に表現している。

ヴェロネーゼ展は6月15日まで。


ロンドン・ナショナル・ギャラリー The National Gallery, London
Trafalgar Square,
London WC2N 5DN
The United Kingdom
+44 (0)20 7747 2885
http://www.nationalgallery.org.uk/
開館時間:
土ー木:10時-18時
金:10時-21時
休館日:
1月1日、12月24—26日

2014年5月23日金曜日

「ルーヴル・ アブダビ」と心躍る作品群お披露目


来年開館予定のルーヴル・アブダビ外観模型
ルーヴルの名を持つ美術館が、アラブ首長国連邦のアブダビに誕生することは、すでにご存知の方も多いことと思う。名称は「ルーヴル・アブダビ」で、開館は来年2015年12月が予定されている。


紀元前2000年頃のバクトリアの姫君像(中央アジア) 
Bactrian princess Central Asia,
late third-early second millennium BCE
パリのルーヴル美術館ではこのほどBirth of a Museum(美術館の誕生)という特別展が始まったが、この特別展で一足先に、「ルーヴル・アブダビ」のメイン展示物が堪能できる。この展示物の多種多彩なこと、どれもこれも美しい輝きを放っている。一例を挙げると、とても愛らしいクロライト(緑泥石)の小さな「姫君像」(紀元前1000年頃の中央アジアで制作)、半リングの両端が見事なライオンの彫金になっている紀元前700年頃の黄金のブレスレット、このほかインドの大理石の仏頭や、真珠貝や鼈甲を散りばめた多角形の用具箱(中国、唐代)など、ため息をつかずにはいられない宝物ばかりである。

日本の掛け軸とローマの彫刻が織り成す「静と動の空間」

絵画に目を転じると、西洋絵画だけでも、ヴェネチア絵画の創始者ジョヴァンニ・ベッリーニの聖母子、フランスからはコローの詩情豊かな風景画、マネのボヘミアン女性、さらにピカソやマグリットの作品やイヴ・クラインの単色絵画など、時代を網羅し多彩な題材の素晴らしい作品が集められている。展示も見事である。日本の掛け軸が肉体美の彫刻像と相対し、インド、トルコ、ペルシャの細密画が姸を競い、屏風を背景にアールデコ風の脚付き机が置かれているといった具合である。




ルーヴル美術館は2012年12月、パリ北部にあるかつての炭坑町ランス市に別館を開設している。このランス別館の目玉である常設展示は「時のギャラリー」と銘打っており、ルーヴルが所蔵する文字の始まった時代の作品から19世紀の絵画、彫刻まで、数千年に渡るオリエントと西洋の美術の歴史をひとつの広い空間で味わうことができ、大評判を呼んでいる。これに対して「ルーヴル・アブダビ」はユニバーサルを謳い文句に作品群が世界中から収集されている。この作品集めはフランス美術館局(Agence France-Museums)というフランス政府の組織により行われた。フランス美術館局を構成するのは「ルーヴル」「ポンピドーセンター」「オルセー」「オランジュリー」「グランパレ」「ヴェルサイユ」などパリ周辺の国立美術館と公共施設合わせて12の団体である。「ルーヴル・アブダビ」は7年前に、フランスとアラブ首長国連邦の政府同士で合意したものであり、両国の威信をかけた大プロジェクトと言うことができる。

「ルーヴル」の看板は30年間使用できるそうで、アラブ世界で始めての世界規模の美術館をルーヴルの名の下に築き上げるという壮大な計画であると両者は胸を張っている。作品はルーヴルを始めとする上記の団体の所蔵品、そして今回展示されている美術品群が中心となるが、早々とこれだけの作品が集まるとなると、来年の開館の時はいったいどんな展示がお披露目されるのか楽しみである。

Birth of a Museumは7月28日まで。

ルーヴル美術館 The Louvre
75001 Paris
France
地下鉄:1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅
http://www.louvre.fr/jp
開館時間:
月・木・土・日:9時-18時
水・金:9時-21時45分(夜間開館)
休館日:
毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日

日本テレビは、ルーヴルの3大至宝「モナリザ」「ミロのヴィーナス」「サモトラケのニケ」の修復や展示環境の整備に協力をし、定期的に日本でルーヴル美術館展をルーヴルと共同で開催しています。

2014年5月10日土曜日

ロッソ、ブランクーシ、マン・レイ

図1_Constantin Brancusi, La Muse endormie,1910. Arthur Jerome
Eddy Memorial Collection.
The Art Institute of Chicago. © 2013 c/o Pictoright Amsterdam /
Medardo Rosso, Enfantmalade, © 1909. Private collection /
Man Ray, Noire et blanche, 1926. © Man Ray Trust /
ADAGP - PICTORIGHT / Telimage - 2013 / Design: Thonik
現代彫刻への道を切り開いた三人の彫刻家、ロッソ、ブランクーシ、マン・レイの展覧会がオランダのロッテルダムにあるボイマンス・ファン・ベーニンヘン美術館で開催中である。彫刻作品40点と彼らが自ら撮影した写真60点以上が並べて展示され、写真を通して芸術家の視点や制作過程に焦点を当てる。

20世紀初頭、写真が一般の人でも撮影できるようになると、芸術家のなかに自分の作品の記録写真を撮るものがあらわれた。ロッソ、ブランクーシ、マン・レイの三人も自らの作品を撮影したが、アングルや背景を変えたり、写真を再加工したりすることによって彫刻作品の創作の意図がより正確に伝わるように工夫した。ロッソは彫刻に印象主義的手法を取り入れ、光が彫刻に及ぼす効果を考えて形態を大胆に省略し、一瞬の表情と周りの空気を切り取った。彼は絵画のような彫刻と評される作品をソフト・フォーカスで撮影して輪郭を曖昧にすることで、光と戯れる彫刻を表現した。そののち写真を切り貼りしてコラージュにしたり、インクで描き込んだりと手を加えて次作の構想を練ることもあった。

図2_Constantin Brancusi, Princesse X (Princess X),
© 1930, gelatin silver print, 29.7 x 23.7cm.
Collection Centre Pompidou, MNAM-CCI, Paris.
© 2013 c/o Pictoright Amsterdam.
Photo Bertrand Prévost.
現代彫刻の父として目されるブランクーシは、人物や動物の姿を抽象化し単純な形で表現
した。彼はマン・レイの助けを借りてアトリエに暗室を構え、マン・レイや交流のあった写真家から撮影方法を学んだ。ブランクーシは生前、自ら撮影・現像した作品写真以外のものが世に出回ることを認めず、空間のなかで作品がどのように見えるのかについて強いこだわりを持っていた。彼の黄金色に磨き上げられたブロンズ作品の写真には光を捉えて強く反射したものが多い。一部がハレーションを起こして白くなってしまったものもある。光の効果を強調することで、作品の力強さが表現されている。

三人目のマン・レイは画家であり彫刻家でもあったが、写真家として最もよく知られている。彼の題材選択は枠に囚われないものであり、既存のものや人体を組み合わせて新しい作品を創り出した。また彼はレイヨグラフと呼ばれる、カメラを用いずに印画紙の上に直接物を置いて感光させることにより物体の姿を写しとった。レイヨグラフは現実のものを用いながらも、つかみどころのない世界を創り出している。

彼ら三人の彫刻家の写真作品は、芸術家の目を通して彫刻を知ることができる。展覧会場では、マルチメディアを使って、それぞれの芸術家の写真撮影が体験できるスペースが設けられ、来館者が撮影した写真は美術館のホームページ上で見ることができる。

「ロッソ、ブランクーシ、マン・レイ」展は5月11日まで。(4月21日を除く毎週月曜日と4月26日休館)。


ボイマンス・ファン・ベーニンヘン美術館 Museum Boijmans Van Beuningen
Museumpark 18-20
3015 CX Rotterdam
the Netherlands
www.boijmans.nl/en/
開館時間:
火曜日~日曜日 11:00-17:00
休館日:
毎週月曜日及び1月1日、4月27日、12月25日

2014年3月12日水曜日

フェリックス・ヴァロットン展


図1 Félix Vallotton, The other’s health (Intimacies IX),
1898, Van Gogh Museum, Amsterdam, (Vincent van Gogh Foundation)
1890年代、スイス人の画家フェリックス・ヴァロットンはナビ派とよばれるグループに所属していた。ナビ派はボナールやヴュイヤール、ドニといった若い前衛的な芸術家たちで形成され、ゴーガンや日本の浮世絵から影響を受け、装飾的な芸術への道を模索していた。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館で開催中の展覧会「フェリックス・ヴァロットン」では、世界中から集められた絵画約60点とゴッホ美術館が所蔵する40点の版画で構成され、ヴァロットンの芸術の全貌に迫っている。

ヴァロットンが画家を志していた当初、肖像画を多く描いていたが、1890年代になって木版画も制作するようになった。当時はリトグラフ全盛の時代であり、もっぱら素描や写真の複製を作るものとして廃れつつあった木版画に、ヴァロットンは革新をもたらした。それまで西洋の版画で使用されていたグラデーションやハッチングなどといった伝統的な立体表現はほとんど使用せず、しっとりとした黒のおおきなかたまりと諧調のない白の色面で構成した。ヴァロットンは町の群集や街頭デモなどの街角の風景、入浴や男女の語り合いなどといった室内の親密な様子などの描写を得意としていた。とくに室内を舞台に男女の機微を鋭く描写した『インティミテ』(親密さ)のシリーズは彼の版画作品の頂点である。(図1)裏切りや無関心、心変わりなどの不穏な空気が表わされ、表面上の親密さに隠れた冷めた関係性を露わにしている。彼の印象的な版画は新聞や書籍に掲載されてヨーロッパだけでなくアメリカにまで広く流通した。

図2 Félix Vallotton, The Ball, 1899,
Musée d’Orsay, Paris, bequest of Carle Dreyfus, 1953
彼は油絵の分野で、肖像画から風景画、静物画、裸婦像とさまざまなジャンルの作品を残した。そのなかで風景画の制作方法は大変興味深い。彼は現実の風景そのままを画面に写し取るのではなく、自身の作品や写真をもとに現実にはない独創的な風景を作り出した。たとえば、彼の代表作《ボール》(図2)は女性を横から写したものと窓の上から見下ろして撮影した2枚の写真を組み合わせ、一枚の絵の中に二つの視点を採用している。また描く際にまず輪郭線を描いてから、その内側を平坦に塗り、明暗による量感表現をほとんどおこなわず、装飾的な画面に仕上げている。浮世絵に学び、写真に興味を持っていたヴァロットンはなめらかな画面表面、冷めた雰囲気と洗練された色彩感覚で独自の作品を確立した。

「フェリックス・ヴァロットン」展は、6月1日まで開催。その後、東京・三菱一号館に巡回予定。

ゴッホ美術館 Van Gogh Museum
Paulus Potterstraat 7
1071 CX Amsterdam
+31 20 570 5200
The Netherlands
http://www.vangoghmuseum.nl (日本語ページ)
開館時間:
3月1日から9:00-18:00 (金曜日は22:00まで)

2014年2月21日金曜日

没後70年 ピート・モンドリアン

現代抽象絵画への道を切り開いたオランダの画家ピート・モンドリアンは、今年、没後70年を迎える。それを記念して、世界最大のモンドリアン・コレクションを誇るオランダのデン・ハーグ市立美術館では、企画展「モンドリアンとキュビスム―パリ1912-1914年」と所蔵作品でモンドリアンの生涯を辿る常設展「モンドリアンとデ・ステイル」を同時開催している。

1911年、フランスの新しい美術運動キュビスムを紹介する展覧会がアムステルダム市立美術館で開かれたが、これがモンドリアンに大きな衝撃を与えた。40歳を間近に控えて新しい芸術を模索していたモンドリアンは、この展覧会で見たピカソなどのキュビスムに影響を受けるとともに、芸術的躍進を図るためにはパリへ行くべきだと確信し、すぐさま1912年1月にパリに移り住んだ。
図1 Piet Mondriaan, Evening; The red Tree,1908-1910, oil on canvas, 70 x 99 cm.
Collection Gemeentemuseum Den Haag
© 2007 Mondrian/Holtzman Trust c/o HCR International, Warrenton (VA, USA)
パリでの滞在は2年間という短い期間であったが、彼の作品はキュビスムの洗礼を受け、平面的・幾何学的な形体へと変化していった。その過程が常設展に展示されている《夜、赤い木》(1908-1910、図1)、《灰色の木》(1912年)、《花咲く林檎の木》(1913年)などの木を描いた作品である。ゴッホを思わせる生命力にあふれた力強い赤色は灰色を基調とした色彩に代わり、具象的に描かれた見事な枝ぶりは細かな枝を省略され次第にその姿が水平線と垂直線へと抽象化されていった。

企画展示室には、モンドリアンが1914年にデン・ハーグで開催した展覧会に出品したコンポジションⅠからⅩⅥと題された16枚の作品を集めた一室がある(図2)。コンポジションとは、フランスで直線と色彩からなる彼の作品を呼称するのに使用していた言葉である。ⅠからⅩⅥの番号は制作順ではなく、モンドリアンが恣意的につけたものである。完全な抽象絵画にⅠからⅥの番号が付し、そのあと抽象化される前の木や建物の形態が残されている作品などが続いている。ただ、形態が残されているといっても、油彩画の横に小さく掲示されたもととなった木や建物のデッサンと見比べなければ、なにを抽象化したものかはわからないほどである。

図2 Piet Mondriaan, Composition no. IV,
1914. Gemeentemuseum Den Haag
1917年、父の病気の知らせによりオランダに戻ったモンドリアンは、第一次大戦が始まったためにオランダに留まることになった。中立国であったオランダは戦禍を免れ、この間、オランダ美術界はフランス美術の影響から脱して独自の芸術を花開かせた。モンドリアンはドゥースブルフとともに雑誌『デ・ステイル』を創刊し、水平線と垂直線、赤・黄・青の三原色に白と黒を加えた色彩によって、普遍的・本質的な芸術を目指した。この芸術運動には画家・彫刻家・建築家・デザイナーらが参加し、絵画だけでなく家具や建築まで制作され、モンドリアンの理念は都市景観まで広く影響を及ぼした。

第二次大戦時にニューヨークに亡命し、72歳で亡くなる直前まで制作されていた《ヴィクトリー・ブギウギ(未完)》が常設展示室に飾られている。近寄ってみると、油彩の上に何枚もの小さな四角いテープが張られていて、モンドリアンが最後まで試行錯誤をしていた様子が伝わってくる。

デン・ハーグ市立美術館でモンドリアンに興味を持った方は、オランダに残るモンドリアン縁の地を訪ねてみるとよいだろう。アメルスフォールトにある生家、モンドリアンハウス(Mondriaanhuis)や、ドイツ国境近くのヴィンタースヴァイクにある少年時代を過ごしたヴィラ・モンドリアン(Villa Mondriaan)などは、建物内部を見学することができる。

「モンドリアンとキュビスム」展は、5月11日まで開催(月曜日休館)。

デン・ハーグ市立美術館 Gemeentemuseum Den Haag
Stadhouderslaan 41
2517 HV Den Haag
The Netherlands
http://www.gemeentemuseum.nl/en
開館時間:
火曜日-日曜日: 11:00-17:00
休館日:毎週月曜日

2014年1月19日日曜日

「パウル・クレー メイキング・ヴィジブル」展


芸術は目に見えるものを再現するのではなく、見えるようにするものである。
——— パウル・クレー


ドイツ人画家パウル・クレーの大規模な展覧会が、ロンドンのテート・モダンで開催されている。世界中から集められた素描、水彩、油彩画あわせて約130点が年代順に展示されている。

図1 Paul Klee (1879–1940), Comedy, 1921,
watercolour and oil on paper,
support: 305 x 454 mm on paper, unique, Tate. Purchased 1946
展覧会は、技術的発展を遂げた1920年代から始まる。《コメディ》(1921 図1)では、クレーが生み出した油彩転写の技法が使われている。まず鉛筆やペンなどで素描を描き、それを黒い油絵の具を塗った紙の上に置き、その線描を針でなぞって転写する。この方法で描かれた線は、にじみやかすれがともなう味わい深い線となる。また転写の際に手が紙に触れてしまったところは、淡い汚れとして写しとられている。油彩転写を始めた当初の作品には色彩を施されていなかったが、のちに水彩で薄く色を重ねて着彩するようになり、自らを「色彩の画家」とするクレーの表現と融合していった。《満月の下の火》(1933 図2)は、夕闇のなかで輝く満月の黄色と地上で燃え上がる炎の赤が印象的である。シンプルな構成で色の力が発揮されている。これらのほかにも大胆な色彩のグラデーションを使用したり、点描を用いたりとさまざまな技法で作品が制作された。

図2 Paul Klee (1879–1940), Fire at Full Moon, 1933,
Museum Folkwang, Essen, Germany
クレーは詩情豊かな作品から「孤独な夢想家」とも評されるが、一方で優れた理論家でもあった。たとえば、色彩理論の著作をあらわし、バウハウスで造形と色彩について教鞭をとっていた際には、講義のための綿密なノートを作成している。1921年からは作品約9600点を掲載した膨大な作品リストも編纂した。このリストは作品テーマによって分類され、作品番号とともに作品タイトルおよび詳細な制作方法が克明に記録されている。クレーは生涯のうちに、ミュンヘン、ワイマール、デッサウ、デュッセルドルフ、ベルンでアトリエを構えた。どのアトリエでも自身の作品を壁に隙間なく並べ、その様子を写真に残している。今回の展覧会では、クレーが編纂した作品リストとアトリエの写真を参考に、画家の意図に沿った展示を行い、制作の過程および思考の過程を明らかにしようとしている。

「パウル・クレー メイキング・ヴィジブル」展は、2014年3月9日まで開催(無休)。

テート・モダン Tate Modern
Bankside
London SE1 9TG
United Kingdom
http://www.tate.org.uk
開館時間:
日曜日-木曜日: 10:00-18:00、金曜日、土曜日: 10:00-22:00
休館日なし